【読書感想文】米澤穂信『儚い羊たちの祝宴』
今回は私の大好きな小説のひとつ、米澤穂信『儚い羊たちの祝宴』を私なりに紹介していきます!
『儚い羊たちの祝宴』書籍情報
出版年 | 初版:2008年11月1日 文庫版初版:2011年7月1日 |
ジャンル | ミステリー |
著者 | 米澤穂信 |
『儚い羊たちの祝宴』を手に取った理由
私がこの本に出会ったのは高校生の頃です。
ある模試の国語の問題に、収録作「玉野五十鈴の誉れ」が題材として取り上げられました。
私は問題を解きながらこの話が大好きになり、模試が終わったその足で本屋さんに行き、店員さんに尋ねて買ったのがこの『儚い羊たちの祝宴』です。
高校受験を控えた当時の自分に近しい年齢のお嬢様や周囲の登場人物に想いを馳せながら読んでいました。
それ以来ずっと本棚にいて時々読んでいましたが、魅力を再発見したのは最近のこと。
大人になった今読み返すと、各キャラクターの魅力がより深く突き刺さるようになっていました。
適当に乱雑に生きてきた私にとって、とりわけ丹山吹子お嬢様の外での立ち居振る舞いは真似したいと思うほど。そのキャラクター性も物語の世界観を形作るのに重要な役割があり、どんどんこの小説にハマるようになっていると感じます。
話中で起こる事件の「犯人」「手法」はさほど重要でなく、「動機」が物語を形作っているところも魅力的です。
『儚い羊たちの祝宴』内の好きなシーン
この本は五篇の短編を収録しています。
それぞれの短編が「バベルの会」という読書サークルでゆるくつながっていますが、最後の書き下ろし「儚い羊たちの晩餐」でそのサークルについてより詳細が分かる、という構成になっています。
ここでは各篇から本文を一部引用し、私の心に残った部分・魅力的な部分を紹介します。
物語の核心部分のネタバレはございませんが、
「まっさらな気持ちで楽しみたい!」という方は飛ばしてくださいね。
「身内に不幸がありまして」
だからお嬢様は身を慎まねばならなかったのです。人前で油断することは決して許されなかったのです。立ち居振る舞いはもちろん、その趣味性向に至るまで、(中略)ほんのわずかでも弱みを見せてはならなかったのです。
米澤穂信「身内に不幸がありまして」P21-22,『儚い羊たちの祝宴』新潮文庫
本篇の登場人物、丹山吹子お嬢様にかけられる責務の重さが分かるシーン。
本好きの吹子お嬢様が、頑丈な鍵のかかる自室においてなお秘密の書棚を望んだ理由がわかる場面でもあります。
最も吹子お嬢様に近い使用人、夕日の立場から分析されるこのシーンの後、吹子の述懐でさらなる意味付けがされるのも面白いです。
全て読み終えると、秘密の書架は「悪趣味」な本が他人に見つからないようにするだけでなく、外に出てこないようにするためでもあったのかな、と感じます。
収録五篇の中では一番好きなお話かもしれません!
「北の館の罪人」
詠子様は口をつぐみ、たじろぎ逃げ出そうとして踏みとどまり、仮面が剥がれ落ちるように嘲笑が掻き消えたのです。
米澤穂信「北の館の罪人」P92,『儚い羊たちの祝宴』新潮文庫
主人公であり六綱家の使用人となった少女・あまりと、六綱家の娘・詠子様が初めて邂逅するシーン。
変わり者ばかりの六綱家において、あまりが初めて「常識的な反応」を受け取った後のある会話を受けた、詠子様の態度が描かれています。
収録五篇すべてを読んだあとですと、この「北の館の罪人」は収録五篇の中で「バベルの会」から最も遠いもののように感じます。
「バベルの会」での活動内容や詠子様の立ち居振る舞いなどの記述がほとんどないんですよね。
しかし同時に、最後の短編「儚い羊たちの晩餐」内でバベルの会会員の特徴が分かった後に読むと、その一員である詠子様の性格がよく分かるこのシーンが印象深くなります。
「何度も読み返したくなる仕掛けがある」ことが、この本の大きな魅力と言えるでしょう。
「山荘秘聞」
お嬢さまがお入りになった倶楽部、「バベルの会」といったかと思いますが、その会員の皆さまは教養深く慎みをお持ちで、立ち居振る舞いにも相応の品を備えておられました。蓼沼は涼しく、水の澄んだ湖のある、良い場所でした。
米澤穂信「山荘秘聞」P131,『儚い羊たちの祝宴』新潮文庫
辰野家の別荘・飛鶏館の管理人をしている使用人・屋島守子の回想です。
守子は辰野家に仕える前、前降家の使用人として働いていました。
前降家にはお嬢様がおり、守子はそのお嬢様が避暑をなさったときの身の回りのお世話を仰せつかっていたのです。
お嬢様が中学生・高校生の時は、前降家の別荘に。そして大学生になると、「バベルの会」の読書会で、蓼沼に。
「山荘秘聞」は、展開される物語の中でバベルの会の存在が直接影響しません。
しかし、五篇の中で唯一、「バベルの会」が開く夏の読書会の様子を事細かに語っています。
この読書会の様子を思い浮かべながら最後の「儚い羊たちの晩餐」を読むと、より没入して楽しめるのではないでしょうか。
「玉野五十鈴の誉れ」
いまやわたしは二つのものを得ていた。ひとつは、なけなしの勇気。五十鈴と交わったことで笑顔を取り戻し、人の輪の中に入ったことで手に入れた、ささやかな心の力がわたしにあった。(中略)
もうひとつ、かつてのわたしになかったもの。それは、狡猾ということ。五十鈴はお祖母さまの前では愚直であり、わたしの前では友となってくれた。その如才なさをわたしは学んでいた。
米澤穂信「玉野五十鈴の誉れ」P211,『儚い羊たちの祝宴』新潮文庫
使用人・五十鈴との交流によって、それまでなかった狡猾さを身につけた小栗家のお嬢様・純香。
その純香が小栗家の絶対的な主であるお祖母様に大学進学を説得する際、自身の成長を顧みるシーンです。
それまでただお祖母様に従うだけだった純香が、使用人の五十鈴の態度から、五十鈴が与えた小説からなけなしの勇気と狡猾さをもってお祖母様に立ち向かうこの場面。
ただ反抗するのではなく、お祖母様に話を聞いていただくにはどうしたらいいか考えた純香。さらにその中で自分の望みを通す力量を感じさせます。
この前にある、純香が五十鈴に小説を貸し出されて、初めて読む小説の魅力に酔いしれるシーンも魅力的で、紹介するのに迷いました。
そちらは私が文庫本を購入した時の帯文に取り上げられていたので、今回はこちらのシーンを取り上げました。
「儚い羊たちの晩餐」
「ふだんはごく当たり前の顔をして勉学に勤しみ、家に戻れば期待された役割を万全に果たす。ですが心の底に、ほとんど致命的なまでに夢想家の自分を抱えている。バベルの会には、そうした者が集まってくる」
米澤穂信「儚い羊たちの晩餐」P288,『儚い羊たちの祝宴』新潮文庫
本篇の主役であり、会費の支払い遅延を理由に「バベルの会」を除籍された女学生・大寺鞠絵。
なんとか再度「バベルの会」に入ることを望む鞠絵が、「バベルの会」会長から、会のもう一つの意味を教わるシーンです。
それまで各話をうっすらとつなぐ存在でしかなかった、大学の読書サークル「バベルの会」が一段掘り下げられるこの短編。
この話を読むと、他四篇のつながりがより強固になります。さらに再度読み返したくなる仕掛けとなっているのがたまりません。
大寺家は鞠絵本人も言う通り「成金の家」。
他の四篇と語り口が異なるのも、それらしさに拍車をかけていて、さすがだなと感じます。
『儚い羊たちの祝宴』を読み終えた感想
『儚い羊たちの祝宴』で展開される世界では、お嬢様は家のために我を抑えつける存在として描かれています。
では、抑えつけた我はどこに行くのか?
それは小説の、物語の世界。物語を通してお嬢様たちは、自分自身を形作っているのです。
伏線として用いられる本の数々に触れたくなるのも、彼女たちのキャラクター性あってのことでしょう。
それはお嬢様たちだけでなく、お嬢様に仕える「使用人」たちも同様です。
五篇にはそれぞれ「お嬢様」「お嬢様本人または家に仕える使用人」という関係が必ず出てきます。
彼女たちの誠実さ・忠実さは時に愚直となり、残酷なまでの結末へ。それが、このダークミステリーの魅力ではないでしょうか。
「真面目な人ほど裏では…」とよく言われますが、その「裏」をこれでもかというくらい肉薄した距離で見せつけてくる本だと思います。
おわりに
以上、『儚い羊たちの祝宴』の読書感想文でした。
お嬢様たちと一緒に、物語の世界にどっぷり浸かって楽しみたい方におすすめできる作品です。
本篇にたくさん登場する、他の作品に触れていくことで、より一層深く楽しむのもいいでしょう。
他にも語りたいこと・考察したいことが山程ある小説ですので、またいずれ記事を書きますね!